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マンハッタン・五番街

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五番街 の歴史

住居表示としての5番街(フィフスアベニュー)は、南はワシントンスクエアから 北はハーレムリバー139丁目まで7マイルにも及ぶ。 一般にいう高級商業の意味での5番街は、エンパイアーステートビルのある34丁目から セントラールパークに至る59丁目あたりまで、さらに超高級と冠されるのは、57丁目を中心として数ブロックということになる。 5番街=フィフスアベニューの生成 発展は1811年のマンハッタン開発計画案に始まる。 この開発計画案は14丁目から北を格子 型に均等に画割りし、南北に1から12までのアベニュー通し、東西は島を貫いて北155丁目まで ストリートを設けるというもので、建造物はすべてこの線引きに納めるという夢の都市計画は、今日のニューヨークの鋳型そのものとなった。 

歴史的には5番街の黄金時代は19世紀半ばから1920年代だと言われる。 当初はワシントンスクエアから23丁目あたりにかけてアメリカンドリームの成功者たち、つまりは 「ニューマネー」を代表するアスター、ヴァンダービルド、ロックフェラー、グールド、 カーネギーなどの一族の 大邸宅が建ち並んだ。 5番街南は王宮のような豪邸の林立を見るが、それから徐々に北へと発展していく。 その後背地となるマディソンアベニュー沿いに洋服仕立て屋などができ、今日の ブルックスブラザーズ、ポールスチュアート、Jプレスなどとなった。

世界に冠たる高級商業エリアとしての5番街神話は1920年代以降に確立され、60年代を最盛期とする説が有力だ。最盛期のこの通りは、環境に調和した重厚な商業ビルの間に教会や社交クラブ、豪華ホテル、邸宅があり、エレガント、シック、コンサーバティブが形容詞だった。 ロックフェラーセンターの一連の超高層ビル群も、5番街の通りからはセットバックした方式で建てられ、北 から南を望む5番街のヴィスタ(見晴らし)はエンパイヤステートビルを頂点に、逆遠近法で 整合されていた。

かつて5番街のエレガンスを支えた力の一つは、「フィフスアベニュー・アソシエーション」だった。 この組織は平たく言えば地域商店街であり、ワシントンスクエアから96丁目までの南北5番街と、ハドソン、イースト両河川までの東西57丁目のほか、隣接するマディソン、 パークアベニューまでを管轄しこの地域での美観を統制保護してきた。

同アソソエーションは古くは、この一帯での地下鉄、鉄道の乗り入れ、駐車場敷設を拒否し、看板 ・ネオンサインを規制し、歩道の靴みがきに反対し、ショーウィンドウー・ディスプレイにも口を挟んできた。 もちろん「Going out of Business」の看板規制、トラックなど大型車の乗れ入れ規制も 試みてきた。

時代とともにこの規制にムリが出てきたのは周知のとおりだが、今日でも、南北5番街を通してニュ-ズスタンドがないのはこの規制が生きているからだ。 「いや、42丁目にニューズスタンド ある」という人はよく観察していただきたい。 5番街を挟んで42丁目北角両サイドにあるスタンド はいずれも 辛うじて、5番街のヴィスタからはずれている。

ペドラーと呼ばれる露天商も5番街は規制しているが、ごく最近までは傷い軍人関係者に 書籍販売などで特別に行商を認めていた。 しかしその趣旨が徹底しなかったところから不法露天商が増え、いまはすべて規制している。 ニセ・ブランドの時計、Tシャツなどの路上販売はもちろん不法、徹底追放の構えだ。

 

 

 

 
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