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スタテン・アイランド

 

1524年,イタリアの航海者ジョバンニ・ダ・ベラサーノ(Giovanni da verrazano)が,フランス国王の依頼でアメリカ大西洋岸を探検中,はじめてマンハッタン島を「発見」した。
しかしニューヨークの実質的な歴史は,1609年,イギリスの航海者ハドソン(Henry Hudson)が,オランダ東インド会社にやとわれて来航,マンハッタンに上陸したあと,のちに彼の名でよばれるようになったハドソン川をさかのぼり,オルバニー(Albany)あたりまで探検したことからはじまる。彼の報告に接して、オランダ人はすぐさまこの地でインディアンとの交易を開始,1621年jこはオランダ西インド会社を組織して植民に乗り出し,26年、広大なニューネーデルランド(新オランダ)領の要衝として,マンハッタン島の南端にニューアムステルダム(New Amsterdam)を建設した。このとき、彼らがインディアンからマンハッタン島をわずか60ギルダー(伝統的に24ドルに相当するとされている)の品物で買い取ったことはよく知られている。

 その後,オランダ人はロングアイランドやスタテン島に勢力を広げたが,交易や課税問題をめぐって,インディアンとの間に血なまぐさい紛争も生じた。 1653年には,インディアンの侵攻を防ぐため、今日のウオール街(Wa11 Street)の場所に防壁(wa11)をめぐらしたほどである。

 1664年,このオランダ植民地はイギリスに降伏,時のイギリス国王の弟であるヨーク(York)公が領主になったので,New York と改称された。その後の発展はめざましかった。北部と南部の中間に位置して,すばらしい海港であることに加え、ハドソン川によって大陸の奥地とつながり,通商の要の地になっていった。

 独立戦争中,ニューヨーク市はほとんどイギリス軍に占領されていた。しかし独立後の1785年から90年まで,アメリカ合衆国の最初の首府となった(1784〜86年の間は,ニューヨーク州の州部でもあった)。
 19世紀に入ると,ニューヨークはもうボストンやフィラデルフィアをぬいて,アメリカ第1の大都市となっていた。1811年には南北のアベニュー(avenue)と東西のストリート(street)とを碁盤の目状に走らせる都市計画を制定、市街地はどんどん北に広がった。人口も急増した。ヨーロッバからの移民はここを主要な入ロとし,市内の各所にさまざまなコミュニティをつくっていった。
 この急速な発展は、多くのひずみも生んだ。市政は民主党の機関であるタマニー・ホール(Tammany Hall)に牛耳られ、しばしばスキャンダルを引き起こし、スラム街は広がり,犯罪も多発した。しかし1898年には,周辺地域を併合して現在のニューヨーク市が実現,アメリカの経済と文化の中心地としての地歩をますます強固にした。そして現在、ニューヨークは単にアメリカの都市であるにとどまらず,さまざまな意味で世界の都市になっているといえよう。住民の孤立,人種間の緊張、治安の低下,経済の破たんなど、困難な問題をかかえながら、ニューヨークは世界で最も活気にみちた都市の1つであり,世界中の人々を引き寄せつづけている。

大西洋からニューヨーク港に入る船は、ブルックリンとスタテン島との間の海峡(The Narrows)を通る。この海峡の南の外海部をLower New York Bay, その北の内海部をUpperNew York Bay という。このUpper Bay がハドソン川ともつながって天然の良港を成すわけだが,ここに3つの合衆国直属の島がある。最も有名なのが,Statue of Liberty(自由の女神像)のあるLiberty lsland(リバティ島)であろう。もとBedloe's lsland とよばれたが,像にちなんで改名された。 19世紀の末期以後、ヨーロッパから苦難をしのんでアメリカにわたってきた移民は,船上でこの像をながめて歓喜した。しかし、彼らが上陸させられたのは,その少し先のEllis lsland(エリス島)である。ここには,1892年から入国検査所が設けられ,1943年に廃止されるまで,二千数百万の移民を厳しく取り調べた。 Ellis lslandという言葉は,いまでは,アメリカ移民の(屈辱をふくむ)原体験を象徴する言葉ともなっている。もう1つの島Govemorslsland (ガバナーズ島)は,湾からイースト川へと進む入口にあって、19世紀の初期から要塞になっている。

2000年の国勢調査で、この独立区 / 郡は人口443,728人、156,341世帯、及び114,128家族が暮らしている。人口密度は2,929.6/km2 (7,587.9/mi2) である。1,082.7/km2 (2,804.3/mi2) の平均的な密度に163,993軒の住宅が建っている。人種的な構成は白人77.60%、アフリカン・アメリカン9.67%、ネイティブ・アメリカン0.25%、アジア5.65%、パシフィック・アイランダー0.04%、その他の人種4.14%、及び混血2.65%である。人口の12.07%がヒスパニックまたはラテン系である。

スタテン島に行く最も楽しい方法は、それ自体がすでに観光名所であるスタテン島フェリーです(乗船無料)。バージニア州の観光地コロニアル・ウィリアムスバーグの様に、歴史に基づき精巧に当時の村を再現したヒストリック・リッチモンド・タウン、全米で最も古い軍事施設の一つであるフォート・ワズワース(Fort Wadsworth)、丘陵に立つジャック・マルシェ・チベット芸術センター(Jacques Marchais Museum of Tibetan Art)、スタテン島植物園(Staten Island Botanical Garden)にある本格的な中国庭園(Chinese Scholar’s Garden)など見所が盛りだくさんです。この庭園は、国が指定するアメリカ建築の歴史地区スナッグ・ハーバー文化センター(Snug Harbor Cultural Center)の一部あります。センターの83エーカー(0.33 km2)の敷地内には28箇所もの歴史的建築物、子供美術館、海洋美術館があります。スタテン島にはまた、動物園、スタテンアイランド・ヤンキース(ニューヨーク・ヤンキースの二軍チーム)の美しいスタジアム、グリーンベルト(鳥の聖域となっている2,800エーカー(11.33 km2)の森林・湿地の自然保護地域)を含む、何マイルにもわたる公園やビーチ、またニューヨーク版のサウスビーチもあります。サウスビーチの7,500フィート(約2.3km)にわたる遊歩道は、世界で四番目の長さを誇ります。 (提供 NYC&Company)

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 

 
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